裏と表
裏日本
本州の日本海に面する地域をいう。冬の降雪量が多い。
三省堂提供「大辞林 第二版」より

私が小学校だった頃、裏日本、表日本という言い方をしていたと思います。昔、日本が中国を向いていた頃は、裏日本は日本の表玄関だった。最近は差別用語として使われなくなったそうですが、イメージは定着していますね。
言葉の由来
新潟市長  篠田 昭
市報にいがた1884号(平成15年4月6日発行)掲載 
裏日本は本来地理用語として、19世紀末に登場しました。それ以前は日本海側を「内日本」、太平洋側を「外日本」と呼んでいたそうです。東京に首都を置いた明治政府は「外」という言葉を嫌って「表日本」を自称したのでしょうか。
 地理用語だった裏日本は、次第に社会的・経済的格差の概念を込めた言葉として20世紀に定着します。30年ほど前から公式の場ではほとんど使われなくなりますが、裏日本のイメージはいまも生きています。

四条烏丸に小さな昆布屋さんに、小学校の補助教材に使う『昆布ロードマップ』があり、北前船の行きかった日本海に思いをはせたことがあります。昆布ロード昆布ロードは北前船の歴史でもあります。

北前船ベンチャーストーリー
福井県の河野村には、五大船主の一人に数えられていた右近家北前船主の館が一般公開されていて、越前カニを食べに行く途中いつもここに立ち寄ります。広大な敷地にはゲストハウスとして使われたスイス風のシャレーがあり、小高い岡に立つシャレーから見る若狭湾にはオルカが泳いでいそうな空と海のグレーブルーの風景が広がります。北前船の裏と表。巨万の富の裏には、多くの海難事故による死者や破産。海運業から保険業に移っていった経緯が、右近家の展示物でわかります。

金沢には、江戸時代末期に北前船を駆使し海上を舞台に活躍し『海の豪商』『海の百万石』と称された銭屋五兵衛の館があり、からくり半蔵 (本名:細川半蔵頼直こと東芝の創業者田中久重)との交流や壮絶な生き方が紹介されています。

私のよく行く黒部市も北前船の歴史色濃く、ここには、四十物(あいもの)昆布さんがあって、今でも羅臼に広大な昆布養殖場を持っておられるそうです。昆布の保存温度はワインの保蔵にもちょうどいいということで、四十物さんは、ワイン愛好家。私も以前ワイン会に参加せていただきました。

裏というとじめっとしたイメージもありますが、どことなく光と可能性を感じるのは、日本人のロマンでしょうか。
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by sdo-asanoya | 2005-09-29 09:25 | ことば
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