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thunks giving 父は空、母は大地
今日、とあるスーパーに行ったら、クリスマスツリーのデコレーション。
クリスマスの前には、アメリカならサンクスギビング。クリスマスショッピングに忙しくなる前の
ゆったりとした時間が私は好きでした。アメリカのサンクスギビングの週は4連休。3連休だったかしら。よくオリンピック半島のロングビーチに行ったもんです。ぜひ体験してみてください。雨が好きになります。「海鳴りの乙女となりし父母の家」という与謝野晶子の歌が思わず思い出せる、ドドーンという海鳴り。どこまで歩いてもホテルや家の見えない砂浜。

ロングビーチから車で20分ほど行ったところでしょうか、Oyster Villeという村があります。ここだけはいつ行っても雨。赤っぽい砂浜にオイスターの貝殻。村の墓地はその村の歴史を物語っています。

シアトル周辺はネイティブ・アメリカンとは切って切れない歴史があります。
オレゴン、ワシントン州、カナダのブリテイッシュ・コロンビアは日本の裏日本とアミニズムの宝庫。

Chief Seattle
Seattle -- a Snapshot History of Its Founding

 シアトル発祥の地と呼ばれるパイオニア・スクエアに、チーフ・シアトルの胸像が飾られています。これはノースウェスト地方出身の彫刻家ジェームス・ウェーン(James Wehn)氏の作品で、シアトルでアラスカ・ユコン・パシフィック・エキスポジション(Alaska-Yukon-Pacific Exposition)が開催された1909年に完成しました。
 スクウォミッシュ族とドワミッシュ族の酋長を務めたチーフ・シアトル(1786~1866)は、キットサップ半島に生まれました。チーフ・シアトルの父親はスクォミッシュ族の酋長でしたが、親子は共に白人と友好関係を結び、入植の手助けを行いました。そのチーフ・シアトルに敬意を表し、白人の入植者らはこの町をシアトルと名づけました。チーフ・シアトルの名前は本来は『Si?al』(発音:Sealth)で、これがなまって『Seattle』になったとされています。
 チーフ・シアトルは1855年、ネイティブ・アメリカンらに所有地のほとんどを放棄させることになったポート・エリオット条約(Point Elliott (現Mukilteo) Treaty)に署名しましたが、
その 後、条約の内容は変更し、その結果に不満を持ったネイティブ・アメリカンらは白人を追い出そうとしました(インディアン戦争、1855~1856)。しかし、チーフ・シアトルはこれに反対し、和平交渉に努めたと言われています。チーフ・シアトルはチーフの座を退いた後、ポート・マディソンにあるスクォミッシュ居住区に住み、1866年6月7日に亡くなりました。 スクウォミッシュにあるチーフ・シアトルの墓では毎年ボーイスカウトが記念式典を行っています。

Chief Seattle Said,”how can one sell the air?”
炭素権てのが昨今ではありますね。
月の土地を売るのに似ている。
by sdo-asanoya | 2005-10-22 22:21
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