たたら いわみ Part2
神話のくに、出雲。
d0004627_2223040.jpg「もののけ姫」にもある製鉄たたら。滋賀県でも大規模な製鉄が行なわれていました。 その遺跡が県内の色々な場所で発見されており、滋賀県野洲市の鉄工所経営の西川拓応さんのホームページには、兼正流小だたら製鐵の情報が満載。
以前、滋賀県の「夢ー舞メント滋賀」という企画で、助成金選定委員会に入っていて、たたらの案件もあって以来、「たたら」って音感に響きます。

いつか行こうと思っていたたたら大本山を目指して、島根県雲南市吉田町へ。
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たたら豪族が作った町並みと、たたら情報が整備されています。d0004627_22235592.jpg

「鉄の歴史博物館」で昭和45年制作の「たたら製法」に関して、学習。NHKの「プロジェクトX」でも、放映された気も遠くなる玉はがねのできるまで。





第167回 3月29日放送「千年の秘技・たたら製鉄 復活への炎
たたらに関して、よく学習したところで、閉館間際にもかかわらず、山内(さんない)生活伝承館のスタッフの方に、たたら山内(さんない)ベスト・ビュー撮影スポットにお連れいただき、それから車で、山内地区の鉄製造後地へ連れて行ってもらいました。夕闇迫り、室内ほの暗い中で、説明を聞くのは特別の感覚。
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彼岸から4月までの時期に、山の土を切り崩して川に流し、砂鉄を集めるなんて、冬寒い地域での作業の過酷さは、いかばかりだったでしょうか。

たたら情報
和鋼博物館は安来港西岸。たたらは鉄を作るところです。鉄は刀、刃物、鉄砲やいろいろな道具に用いるので昔から極めて重要な金属でした。

●たたらの歴史
紀元前1500~2000年ごろヒッタイトで生まれた製鉄技術は、
主にインド~中国江南~朝鮮半島南部を経て、6世紀頃(古墳時代後期)
日本へ伝えられたと考えられる。一代に装入する砂鉄13トン、木炭約13トンに
対し、できるケラは2.8トン、ズクは0.8トン。したがって、鉄の装入砂鉄に対する歩留りは28%と、現在から見れば非常に悪い値でした。山内生活伝承館(菅谷たたら山内)このケラの中から選別された良い部分は玉鋼(たまはがね)といい、日本刀など高級刃物の原料にされましたが、2.8トンのケラからとれる玉鋼は1トン以下という僅かなものだったのです。したがって、玉鋼がいかに貴重なものだったか分かると思います。明治32年(1899年)、安来港に近い問屋街の一角に「雲伯鉄鋼合資会社」を設立し、たたら製品の製造販売を始めました。これが現在の日立金属安来工場の発祥です。

和鋼なくして日本刀なしと言うことがよく理解できると思います。
また、日本刀の需要がなくなり、和銅の歴史が遠いたともいえます。

d0004627_22293660.jpg★☆★石見銀山★☆★
鉄があるなら、銀。石見銀山観光マップでは、歩きたい町並みも紹介されています。石見銀山ミュージアムのWebも覗いてみてください。 
平成19年の世界遺産(文化遺産)登録を目指して、情報発信も活発。





世界遺産条約を締結している国が、5~10年の間に世界遺産に推薦しようとする物件をリストにしたもので、推薦された遺産の価値を幅広く比較研究するために用いられています。 世界遺産暫定リストに登載された物件でなければ世界遺産リストには登録されません。

大森代官所跡(石見銀山資料館)島根県大田市大森町町並み保存。

銀山エリアを歩く:「龍源寺間歩」600ばかりの間歩(まぶ:坑道)石見銀山遺跡は、東西に長い島根県のほぼ中ほど、旧温泉津町、旧仁摩町を含めた大田市の広い範囲に分布しており、その中心となる大田市大森町は、JR山陰本線大田市駅から約11kmの南西部にあります。17世紀初頭には支配体制を確立するため、柵を巡らして柵内と柵外を区分しました。この柵内(さくのうち)の範囲は、江戸時代の「正保二年石見国絵図(1645年)」によれば東西2.2km、南北2.5km、面積は約300haにもなります。石見銀山では、採掘から精錬までの作業が、すべて人力・手作業で行われました。このような作業を行う製錬工房が銀山現地に多数集まることによって、高品質の銀を大量に生産することができました。このことを証明する600カ所以上もの露頭掘り跡や坑道跡が今でも銀山山中に残っており、また、これらに隣接して、かつて製錬工房と生活の場であった平坦地が約1,000カ所以上も残っています。 江戸時代の石見銀山では従来の伝統的技術によって銀生産が続けられました。しかし、明治維新を迎えた19世紀後半以後になって、ヨーロッパの産業革命で発展を遂げた新技術が導入されましたが、銀鉱石が枯渇したため銀山活動が停止していきました。その結果、今日、石見銀山遺跡には鉱山開発の伝統的技術の跡が良好に残されました。

石見といえば、群言堂
今年のクリスマスディスプレイもご覧ください。以前ご紹介した観光カリスマの松場登美(まつば とみ)(株)さん(石見銀山生活文化研究所取締役所長) 
1キロばかりの町並みを歩き、昼食は朝日庵で。ここもさながら店内ミニギャラリー。
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再度行きたいのは、野太い感のある吉田町。銀花的には、大森町。
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by sdo-asanoya | 2005-11-29 22:00 | LOHAS・ライフスタイル
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